「ふう・・・」
廊下のベンチに座って缶コーヒーを飲み、一息つく。

本日の講義、終了。
僕はサークル活動をしていないし、バイトもたまにしかやらないから、今日はもう寮に帰るだけだ。
見るともなしに窓の外を見ると、まだ日は高く、そして日差しが強い。木々の緑も色濃く染まっている。

「もうすぐ夏、か・・・」
この前の、義姉さんの言葉が頭に浮かんだ。
大学は、もうすぐ夏期休暇に入る。
それを利用して実家に帰るかどうか、僕はまだ結論を出していない。

義姉さんは帰省を勧めてくれたけど、兄さんと顔を合わせるのは、やはり抵抗がある。
それに・・・一体どんな顔で、義姉さんを見ればいいんだろう。
良き妻として兄さんに寄り添う義姉さんを前に、冷静でいられる自信なんか、僕にはない・・・。




  ヴーーーッ、ヴーーーッ、ヴーーーッ・・・


マナーモードに設定していた携帯が、ポケットの中で震え出した。
液晶画面を見ると、実家の番号が表示されている。
・・・もしかして、義姉さん?
僕は、はやる気持ちを抑えつつ、電話に出た。

「はい、もしもし! ・・・ああ、なんだ、じいちゃんか」
思わず、失望が声に出る。
しかし、じいちゃんは気にもせず
・・・いや、そんな些細なことなど気にする余裕もなく、固い声で今すぐ実家に来るよう言った。

「なにが・・・あった?」
ただ事ではない雰囲気を感じ取り、自然と僕の声も固くなる。
そして次の言葉を聞いた瞬間・・・僕は、ぽとりと缶コーヒーを取り落としていた。






「いやあ、しかし突然のことだったねえ」

「はあ・・・」

「人の運命なんてわからないものねえ。二人とも、あんなに元気だったのに」

「はあ・・・」
・・・正直、鬱陶しい。


「交通事故かあ。わたしも注意しないといけないねえ」

「本当に、安全運転でお願いしますよ。まだローンが残ってるんですから、ぶつけたりしないでくださいね」

「わかってる、わかってる」

そう言うおじさんの左腕には高そうな腕時計がはまっているし、バックミラーに映るおばさんは真珠のネックレスをかけている。

腕時計はロレックス、ネックレスは天然物の本真珠だと、さっき自慢された。ローンがどうとか言うわりに、この夫婦はかなりの派手好きとして親戚の間じゃ有名だ。


「(大のおしゃべり好きとしてもね・・・)」


まったく、車に乗ってからずっと、同じ話題をべらべらべらべら・・・。
少し静かにしてくれないかな。
兄と義姉を同時に失った人間が、おしゃべりを楽しみたい気分のわけないだろうに。
もっとも、それならどういう気分かと言うと・・・実は自分でも良くわからない。

すべてがあまりに突然すぎた。まるで夢の中の出来事のようで、まだ悲しみの実感が湧いて来ない。


「しかし、やっぱりひかる君は実家に戻った方が良いと思うなあ」

・・・その話も、さっきした。

「じいちゃんと相談して決めますけど・・・まだ大学がありますからね・・・」

「あら、どうせ神社を継ぐんだから、やめちゃってもいいんじゃない?」

わざわざ後部座席から身を乗り出してまで、人の将来に口を挟むこともないだろうに。
僕は、内心顔をしかめたいのを我慢しながら、言葉少なに答えた。

「まだ、後を継ぐと決めたわけでもありませんし・・・」

「いやぁー、だけどね、お兄さんがこうなった今、後継ぎ候補はひかる君しかいないじゃないか」

「それは、そうなんですけど・・・」

「おじいさん一人に神社を任せておくのも心配でしょう?」

「はあ・・・」







そんなに神社やじいちゃんのことが心配なら、少しは手を貸してくれればいいのに。

両親が死んだ時も、分家の人たちは何もしてくれなかった。

歴史がどうの、伝統がこうのと口では色んなことを言ってくるが、面倒なことはすべて本家に押し付け、自分たちはろくに参拝すらしようとしない。

兄さんは神社のことを誇りに思っていたし、いずれは自分が後を継ぐと考えていた。だから、学校をやめて神主の修行を始めるという話も素直に承知した。
だけど、兄さんと僕を一緒にされては困る。

僕は神社のことなど興味は無いし、神事の勉強もしたことがない。せいぜい忙しい時に手伝いを頼まれ、おみくじやお守りを売ったことがあるぐらいだ。
そんな僕が簡単に後を継げるほど、神主というのはたやすい仕事ではないと思う。

「やめるかどうかはともかく、せめて寮を出て、実家から大学に通うことはできないのかい?」

「実家からだと、通学時間が倍以上になっちゃうんですよ」

「あらでも、それぐらいならなんとかなるんじゃないの? 他に問題が無ければ、戻ってらっしゃいよ」

「そうだね。実家に戻れば、大学を続けながら神主の勉強をすることもできるし、いいことずくめじゃないか」

「はあ・・・」


この人たちは、よっぽど僕を兄さんの後釜に据えたいらしい。
確かに、実家から大学に通うことは可能だ。じいちゃんを一人にしておくのが心配だって気持ちもある。

だけどあの家は、兄さんと義姉さんが仲むつまじく暮らしていた家なんだ。
兄さんと義姉さんの想いが詰まった家・・・桐子さんが、僕ではなく兄さんと愛を重ねた場所・・・。
そんな家に住むなんて、今の僕には、とても耐えられそうにない・・・。


「ふう・・・」

「あら、ひかる君、疲れたの?」

「いやあ、遠いとは聞いていたけど、まさかここまでとは思ってなかったなあ。送り迎えなんか引き受けるんじゃなかったよ」

疲れたのは当たってるけど、原因はあなたたちのおしゃべりだよ・・・とは、さすがに口に出せない。

「こんな山奥まで迎えに来なきゃいけないなんて、迷惑な話ですよねえ。どうせなら、もっと近くに入院してくれれば良かったのに」

「まったくだ。病院に送り返すのは、他の人に任せるとしよう。この山道を往復するのは一回で十分だよ」

二人してぶちぶちと愚痴を言い出すが、葬儀の準備を手伝うのが面倒でこの役を引き受けたことを、僕は知っている。

「そもそも連れ出してしまって大丈夫なのかねえ? 確か、悪いのは心臓だっただろう?」

「それは大丈夫だと思いますよ。お医者さんの許可は取ってあるそうですから」

「それならいいんだが、追加で葬式を出すなんてことにならないだろうな・・・」

「その時は、やっぱり私たちがお葬式を出さなければいけないんでしょうかねぇ?」

「そういうことになるんじゃないのか? 身内と呼べるのは桐子さんだけだったそうだから」

「まあいやだ、ただでさえ大出費だというのに。やっぱり連れて行かない方がいいのかしら?」

「ここまで来て、そういうわけにもいかんだろう。せめて葬式の間ぐらい無事でいてくれるよう、祈るしかないな」


二人が話しているのは、桐子義姉さんの妹のことだ。確か、まだ小学生だったと思う。
学生の頃に両親を亡くし、頼れる親戚もいなかった義姉さんは、苦労を重ねながら病弱な妹を育てていた。

彼女とは一度だけ・・・義姉さんの結婚式で会ったことがある。
入院中で無理はできないとかで、すぐに帰ってしまったが、姉の晴れ姿をとてもうれしそうに眺めていた。

そう言えば、義姉さんが楽しそうに話していた。病気も大分良くなっているので、近々一緒に暮らすのも夢じゃない・・・って。
そうしたら、彼女も嫁ぎ先であるうちの実家で暮らすことになっていたはずなのに・・・こんな事になってしまって・・・。









「そしていつか、一緒に暮らしましょう。家族そろって、みんな一緒に・・・」







「あ・・・」

そうか・・・あの時、義姉さんは僕だけでなく、妹さんのことも考えていたんだ。

両親も亡く、たった一人の姉とも満足に会えなかった妹さんに、家族で暮らす暖かさを教えてあげたかったに違いない。
義姉さんは、妹さんと暮らす新しい『家族』の中に僕も加わって欲しかったんだ・・・。


「でもその子、これからどうするのかしら? こうなった以上、退院後に本家で引き取るって話も立ち消えですよね?」

「肝心の桐子さんがいないんじゃ、そういうことになるだろうな」

「退蔵さん一人に、神社と病弱な女の子の両方を任せるわけにもいきませんしねえ」

「しかし問題は、戸籍上の繋がりがあるのが、我々だけだということだよ。色々と面倒なことを押し付けられるかもしれん」

「受け入れてくれる施設を探して、手続きをするぐらいのことはやらねばならんかもな。もちろん、誰か引き取り手がいれば、話は別だが」

「言っておきますけど、うちにはそんな余裕ありませんからね。間違っても余計な考えを起こさないでくださいよ」

「わかっているよ。いくら桐子さんの妹と言っても、私たちとは赤の他人も同然だ。誰が好きこのんでそんなお荷物を引き取るものか」

「おまけに、いつ病気で倒れるかもわからないって言うんじゃ、ちょっと・・・ねぇ?」



わかるでしょ、とでも言うように、おばさんが僕に笑いかける。

・・・いやな笑顔だ。僕は曖昧に肩をすくめ、返事をしない。



「いっそのことこのまま退院しないでいる方が、みんなにとって良いんじゃないかね?」

「それでも入院費用の問題がありますよ。親戚一同でお金を出し合うなんてことになったら、どうするんですか」

「それもそうだな。ううん、まったく厄介な問題を残してくれたものだねえ、桐子さんは・・・」

「・・・・・・」


・・・本気で腹が立ってきた。こんな人たちと血が繋がっているかと思うと、気分が悪くなってくる。
じいちゃんが、普段はこの人たちと連絡を取りたがらない理由が良くわかった。
早く目的地に着かないだろうか。不快な表情を浮かべないようにしているのも、そろそろ限界だ・・・。







ようやく目的の療養所に到着し、車から降りた僕たちを出迎えてくれたのは、眼鏡をかけた優しそうな中年男性だった。
白衣を着ているから医者だとわかるが、『先生』と呼ばれる人にありがちな偉ぶった様子は無く、ごく普通の会社員だと自己紹介されても信じてしまいそうだ。

「ようこそいらっしゃいました。北山さんのご親族の方ですね」

「北山・・・?」

「ええ、北山桐子さんの・・・失礼、神無月桐子さんのご親族の方でしょう?」

「あ・・・」

うっかりしていた。『北山』は、桐子義姉さんの旧姓だ。

「こんな遠くまでご足労頂き、恐縮です。それではあちらで外出許可の手続きをいたしますので」


「ただの外出にも手続きがいるのかい、面倒だね」

「私たちは患者の生命に対して責任がありますし、それに、外出できるぐらい回復しているとは言っても、決して完治したわけではありませんからね」

「お手数をかけて申し訳ありませんが、書類に連絡先と外出後の行動計画をご記入ください。それからお二人には病状の説明と飲み薬の注意を聞いて頂きます」

「こんな遠くまで迎えに来たうえ、そんな説明まで受けなくてはいけないんですか・・・」


やれやれ、とおばさんが溜め息をつく。

「申し訳ありません。なるべく早くすませるよう係の者に伝えておきますので・・・」

ぺこりと、その先生は頭を下げた。医者にこうまで言われては、さすがに文句を続ける気にもなれなかったらしい。おじさんとおばさんは、その先生の指示に従って建物の方へ歩き出した。
当然僕も、二人に続こうとする。しかし眼鏡の先生は、僕の肩に手を置いてそれを止めた。

「えっ・・・?」

「神無月ひかるさん・・・ですね?」

「え、ええ、そうですけど・・・どうして僕の名前を?」

「桐子さんから、何度かお名前を伺いました。この度は本当に、ご愁傷様です」

「い、いえ・・・」


おじさんやおばさんの口からは一度も聞かれなかった、心からの悔やみの言葉を耳にして、不意に目頭が熱くなる。

それを押し隠すように、僕は先生に向かって頭を下げた。

「義姉さん・・・いや、義姉が大変お世話になりました」

「お世話などとんでもない。しかし・・・本当に残念です」

「もう少し・・・もう少しで退院許可を出すことができたんです。その日が来るのを、あの子も、桐子さんも、そして私たちも、どれだけ楽しみにしていたか」

「こうなることがわかっていれば、もっと早くに退院を認めて、たとえわずかな時間でも、家族と一緒に暮らす幸せを味わってもらうんだったと、今さらながらに思います」

「残念です・・・本当に、残念です」

ツンと、鼻の奥が熱くなる。このまま黙っていたら、本当に泣き出してしまいそうだった。



「そ、その・・・もう、そんなに良くなっているんですね・・・。もっと早くに退院できたぐらい・・・」

「ええ・・・まだいくつかの検査結果が出ていないので、許可を出すわけには行かなかったのですが・・・恐らく、もう入院の必要は無いでしょう」

「夏休みの間は、桐子さんの家でゆっくりと普通の生活に身体を慣らし、二学期から近所の小学校へ転入する。私たちは、そう話し合っていました」

「彼女はずっと、病室で家庭教師に勉強を教わっていましたから、その日が来るのを本当に楽しみにしていましたよ。桐子さんの買ってきたランドセルを、ずっと枕元に飾っていたぐらいに」

「でも・・・どうやら、桐子さんの話してくれた学校へ通うのは難しくなってしまったようですね」


彼女を引き取ることが難しくなったことを、この先生も気付いている。

「そして、私たちももう、あの子を守ってあげることができない」

「えっ? それは、どういうことですか?」

「意外に思われるかもしれませんが・・・この療養所は、彼女のような長期入院が必要な子供たちのために、最新の医療設備と専属の教育スタッフを用意しています」

「それらのうち、一部の医療行為や教育行為には、通常の保険が適用されません。つまり・・・ここの入院費用は、通常よりもかなり割高になってしまうのですよ」

「仮にあの子が再び体調を崩したとしても、新しい保護者の方がここへの入院を認める可能性は、少ないでしょうね」


「そんな・・・」

そこで僕は、あることに気付いて先生に質問した。


「あ、あの・・・桐子義姉さんは、その入院費用をずっと一人で・・・?」

「ええ・・・ご両親の遺産をすべて注ぎ込まれ、それでも足りず、ずいぶん苦労なさったと聞いています」

「一度ならず、普通の病院への転院をお勧めしたのですが、あの子の治療と教育にはここが最適だからと」


義姉さんはそんなにしてまで、たった一人の妹を守ろうとしていたのか。
たった一人残された、大切な家族を。
一緒に、家族みんなで、幸せに暮らせる日を、夢見て。


「あ、あの・・・彼女は、今どこに?」

その言葉を聞いて、白衣の先生は小さくにこりと笑った。

「中庭にいるはずです」

先生は建物の裏に続く細い道を指し示した。

「行ってあげてください。あの子には今、誰かの支えが必要です」

「は、はい」

僕はぺこりと頭を下げ、小走りで中庭へ向かった。









・・・ひとつだけ、困ったことがあった。

僕は、肝心のその子の名前を覚えていない。


結婚式で会った時に、確か紹介されたんだけど・・・短く挨拶を交わしただけで、ろくに話もしなかったから・・・。困ったな、なんて呼び掛ければいいんだろう? いや、その前に、僕は彼女をちゃんと見分けることができるんだろうか?

僕は内心冷や汗をかきながら、木立に挟まれた薄暗い道を走る。

やがて、木立が途切れ、真っ青な空と白く強い日差しが目に飛び込んで来た。

「うっ・・・」
目がくらみ、視界が白一色に染まる。

顔の前に手をかざし、中庭の明るさに目が慣れるのを待つ。


徐々に、周囲の景色が本来の色彩を取り戻して来た。

青い空、濃緑色の木々、陽光に照らされ銀色に輝くコンクリート、赤や黄色や紫、鮮やかに咲き誇る夏の花々・・・。

その中心に、まるで強い日差しがそのまま形を取ったかのような、白い人影がある。


「あ・・・」

真っ白な少女が、ゆっくりとこちらを振り向く。
輝くように美しく・・・しかし、ふとした弾みで蜃気楼のように消え去ってしまいそうな、どこか儚げな女の子・・・。

白いワンピースの裾が風にはためき、まるで翼のように見える。天使・・・そう、まさに天使のような女の子・・・。

この子だ・・・この子が、義姉さんが守り育てた、妹・・・。

名前は・・・そう、名前は・・・。



「紫音・・・」

その子は、静かな・・・静かすぎる眼差しで僕を見つめ、小さな声でそっと呟いた。


「ひかる、さん・・・?」

この時、僕はもう心に決めていた。

この子と・・・紫音と共に暮らそうと。

義姉さんや、これまで紫音のそばにいてくれた人たちに代わり、今度は僕が彼女のことを守り抜くと・・・。

僕は、そう心に決めていた・・・。






滞りなく、告別式は終わり・・・。

僕たちは、兄さんと義姉さんを送り出すため、外に出た。
気温は30度を超えている。降り注ぐ陽光とねっとりした熱気で、喪服の下はたちまち汗まみれになる。
セミの大合唱が耳に痛い。遠くから、近くから、ジィジィという鳴き声が絶え間なく響き続ける。


白くかすむ空気、地面に落ちる漆黒の影。
そんな、猛暑にむせ返るような昼下がりに、兄さんと義姉さん、二人の棺が運び出されて行く。

「(義姉さん・・・)」

最後に義姉さんと別れた時の光景が、脳裏に浮かぶ。



  「家族なんだから、ちゃんと会わなくちゃ。みんな、会いたいという気持ちは持っているんだから」
  「そうしないと・・・」
  「そうしないと・・・いつか、後悔しちゃうよ。会いたくても、会えなくなった時に・・・」



もう・・・どんなに望んでも、義姉さんには会えない・・・。


あの優しい声を聞くことも、柔らかな身体を抱き締めることも、できない・・・。
せめて最後は、笑顔で別れたかった。義姉さんを困らせるような、悲しませるようなことを、口にするんじゃなかった。

そう後悔しても・・・もう、遅い・・・・・・。

霊柩車に、二つの棺が運び込まれる。義姉さんの隣りに横たえられた、兄さんの棺・・・。


「(兄さん・・・)」

真面目で、責任感が強くて、まっすぐで・・・普段は優しいのに、たまに怒ると、すごく怖い人だった・・・。
両親が死んだ後は、なんとか僕の父親代わりになろうと、必死でがんばっているのが伝わって来た・・・。

まっすぐに家族を愛し、まっすぐに桐子義姉さんのことを愛し、心の底から僕たちのことを信じていた、兄さん・・・。

きっと・・・弟と妻の関係を疑ったことなど、一度もなかったに違いない・・・。そんな、まっすぐな兄さんを裏切ることに、義姉さんは最後まで苦しみ続け・・・僕もまた、罪悪感を抱き続けた・・・。

もう、その兄さんにも、会えない・・・。
義姉さんを奪い取ることはおろか、これまでのことを謝ることも、怒った兄さんに殴られることも、できなくなってしまった・・・。


 ぷぁーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!

周囲を埋め尽くすセミの声を、クラクションが鋭く切り裂く。二人の棺を載せて・・・ゆっくりと、霊柩車が走り出した。
灼けたアスファルトからは、ゆらゆらと陽炎が立ち上っている。
まるで、この世ならざる異世界へ続いているような・・・そんな思いすら抱かせる、幻想的な光景・・・。

そんなゆらめく景色の中を、兄さんと義姉さんを乗せた霊柩車が、徐々に加速しながら走り去って行く・・・。





気が付けば、すぐ近くに紫音の姿があった。

左手に白い日傘を持ち、右手に義姉さんの遺影を抱えて、じっと走り去る霊柩車を見送っている。
日傘の陰から覗く、思い詰めたような瞳。疲労と心労のせいか、白く血の気の引いた顔が、年齢よりも大人びて見える。

「(似ている・・・義姉さんに・・・・・・)」

紫音の横顔に、桐子義姉さんの横顔がだぶる。
幼い少女の顔に、愛する女性の面影が隠れている・・・。

良く見ると、紫音の肩は小刻みに震えていた。
表情は冷たく凍り付いているが・・・もしかしたら、必死に涙をこらえているのかもしれない・・・。





「あの子、最後まで涙の一滴も見せなかったな」

「姉妹と言っても、あんな山奥に入院していたんじゃ会う機会もそうそう無かったでしょうから」

「長いこと病気をしていると、まともな感情すら持てなくなるのかねえ? いくら会う機会が少ないと言っても、たった一人のお姉さんが死んでしまったんだぞ?」

「確かにかわいげがないって言うか、あそこまで行くとちょっと怖い気もしますねぇ」

他の親戚たちも、おおむね同じ感想を抱いたらしい。幼い紫音に声をかけることもせず、次々に室内へと戻って行く。



後には、僕と紫音だけが残された。

「・・・・・・」


「あっ・・・ひかる、さん・・・」

ようやく僕の視線に気付き、紫音が顔を上げた。

・・・やっぱり、似ている・・・。

たまに義姉さんが、深い悲しみを押し隠して、平静を装いながら僕を見ることがあった。
今の紫音は、その時の義姉さんに、良く似ている・・・。

「紫音・・・」

「は、はい・・・なんでしょう?」

「これからは、僕のことをお兄さんって呼んでくれないかな?」

「えっ・・・?」

「退院したら、一緒に暮らそう。この家で、兄妹として・・・」

びくん、と紫音の身体が震えた。

「わ、私・・・でも・・・」


「今は僕も大学の寮にいるけど・・・なるべく早くそこを出て、この家に戻って来るよ」

「いつまでも、じいちゃんと・・・それに、新しくできた可愛い妹を、放っておくわけにはいかないからね」


「妹・・・私が、ひかるさんの、妹・・・」

「それとも・・・僕なんかの妹は、イヤかな?」

「い、いえ・・・そんな・・・そんな、ことは・・・・・・」

小さく左右に、紫音は首を振った。

「あの・・・いいんですか? 私、本当に・・・ここにいても、いいんですか・・・?」

「当たり前じゃないか。僕たちは、たった二人の兄妹なんだから」

「あ・・・・・・」

白い日傘が、紫音の手の中からぽろりとこぼれ落ちる。


「ひ、ひかるさん・・・私・・・私・・・・・・」

くりくりとしたどんぐりのような瞳に、じわりと涙がにじむ。
瞳の中いっぱいに涙をたたえ・・・紫音はじっと僕を見つめる。

「これからは、僕が一緒だよ。だから安心して、紫音・・・」

「うっ、ううっ・・・」

いっぱいに盛り上がった涙の粒がついに限界を超え、一条、二条、紫音の頬を伝わり落ちた。

「ううっ、ひっく・・・ぐすっ・・・」

さっきまでの大人びた表情は消えて・・・僕の前では、年相応の小さな女の子に戻った紫音が、肩を震わせてすすり泣いている。

たまらない愛しさを感じ、思わず僕は、紫音を抱き寄せた。

「あ・・・」

一瞬、紫音は身を固くする。しかし・・・。

「うっ、ううっ・・・ひくっ、ぐすっ、うううっ・・・」

やがて紫音は、自分から僕の胸に顔を埋め、静かに泣き始めた。

「紫音・・・」

「・・・ひっく、ひっく・・・うっ、うううっ、うくっ・・・」

ふいに、さーっと涼風が吹き抜けた。紫音の日傘が、円を描きながらころころと地面を転がる。
立ち上る陽炎が消え、白くかすんだ風景が元の色彩を取り戻す。
唐突に訪れた心地よい風に、セミたちも思わず歌を忘れ・・・。

不思議な静寂に包まれた、鮮明な世界の中で・・・紫音の言葉が、はっきりと僕の耳に届いた。

「おにい・・・さん・・・・・・」

僕はそっと、紫音の頭を撫でてやる。
そして、口の中で小さくその言葉を呟いた。



「よろしく・・・僕の小さな妹・・・・・・」